ライター:マザーカウンセラー 橋本

「息子を動けなくしているのは、あなたですよ!」

なんと言っても、塾長のこの一言が、私の原点です。

長男は不登校をし、塾長のもとで少しずつ元気になっていた最中でした。が、ある年の2月頃に突然、外に出られなくなり、自室に引きこもるようになりました。食事をしようにも、自分の口がどこにあるのかもわからない様子でした。

その後、すぐに大越塾長に面談をして頂き、なんとか息子も同席できました。

そこで「申し訳ない、大変なことをしてしまった」という思いで一杯だったところ「今回は勢いよく引きこもったから良かったなぁ」と、まさか想像もしていなかった言葉をかけて頂き、息子はほっとしたのか、その日から、徐々に物も食べられるようになりました。しかし、塾に通えるようにはなりませんでした。

そんな状況がつづいたある日。息子を家に置いて、私だけがヒューマニティーセミナーに出席していました。

焦る気持ちから、思わず「先生、私は息子に、大越先生について行って欲しいと思います。そのためなら私、何でもします!」と意見を述べた折に、大越塾長から頂いた言葉が「息子を動けなくしているのは、あなたですよ!」でした。

頭に雷が落ちたかと思うほどショックで、頭が、真っ白になりました。

「息子を動けなくしているのは私なんだ」と、そのときはただ、その事実が自分の中で反響していました。

「息子を動けなくしているのは、あなたですよ!」

これは、もう少し正確に書くと「お母さんは、息子に動いて欲しい、塾に来て欲しいと思っておられますが、息子を動けなくしているのは、誰ですか? 僕ですか? 隣のおじさんですか? それは、あなたですよ。息子を動けなくしているのは、あなたですよ、お母さん!」という言葉でした。

それまでは「子どもが動けないのは誰のせいか」なんて、深く考えたこともありませんでした。ただ無我夢中で、必死で「なんとか動いて欲しい、元気になって欲しい」とばかり思っていました。そして、そのためなら何でもするつもりでいる自分は良い母親だ、とさえ思い込んでいました。

「息子を動けなくしたのは私なのか」と、今まで思ったこともない(見たくなかったのだと思います)視点で、少しずつ、自分の心の中を冷静に覗いてみるようになりました。

すると、「子どもが動けないのは、元々の不登校の原因を作った小学校の先生や中学校の先生、それにサポートしてくれない主人、さらには優しすぎる本人のせいだ!」と、そんな風に私は、他人に対して不満に思っていることに気がつきました。

全部他人のせいにしている私は、なんて自己中なんだろう、と恥ずかしくなりました。

それから何度も、大越塾長のこの言葉を自分に問い続けています。

最初はただ「子どもを動けなくしたのは、私なんだ」と理解するところから、「何故、どのように私は子どもを動けなくしたのだろう?」と、自分のあり方を振り返るようになりました。

そして、それは「私の考えは、私の親や、私が育った環境とどのようにつながっているか?」「子どもに【元気】になって欲しい、という【元気】とはどんな状態だと私は認識しているのか?」など、色々な考えに分岐していきました。

「誰のせい」でなく「誰のため」を振り返る

当時、必死になって息子を外へ連れて行こうとしていた時の自分は「息子のため、息子のため」と言いながら、その行動のの根底には、息子が動けないことで世間体を気にしている自分が居たり、自分の望む通りに息子が動かないことへの不満があったりしました。結局、「自分のため」でしかなかったのです。

息子が本来求めていた価値観を見ようともせずに、私の信じていた価値観の中に引き寄せようとして、その狭間の谷底に落としてしまったことを、今では深く反省しています。

が、それでも、塾長の言葉の解釈としては、まだまだ浅いのではないかとも思います。いまでも日々考え続けており、自分に問いかけることは、その時々で違います。

私にとって大越塾長の言葉は折に触れ、いつまでも思い出しては、そこに自分を映して自らを省みる鏡のような物だと思います。

この記事を読んだ塾生の感想

私も当時、親の「私はあなたのためを思って言ってるのよ!」という言葉に、嘘を感じた。というのも、その言葉の背後に「子どもがひきこもることで、親自身が他人からどう思われるか」を気にしていることがわかったから。正直、それがわかることで、余計に動けなくなってしまった。自分が苦しんでいるところをまったく想ってもらえてないと察し、とてもさみしかった。

学校に行きづらくなっていた当時、親に「無理して行かなくてもいいんだよ」と言われながらも、自分なりに頑張ろうと思い、無理して行きました。「やっぱり、これはもう無理だ」と体が拒否しながらも何とか最後まで残って帰宅しました。意を決して学校は無理だと伝えようとしていた矢先、母親に、喜びを隠せない表情で「学校どうだった?」と言われました。「学校に行けば我が子として認めるのか」と、条件付きの愛情に感じて虚しさを覚えました。

塾長の言葉

 世のお母さん方に口をすっぱくしていいたいのは、どうか条件つきで子どもを愛さないでほしいということです。できの悪い子、学校へ行かない子にこそ留保や条件なしの愛情をそそぎ、十分に母心を発揮してやってほしいのです。

 そして子育てや教育にせっかちに結果を求めない。どのみち子どもは親の思いどおりになんか育たないものです。子どもが不登校になっても、嘆いたり、責めたりせず、とりあえず、学校へ行けない子どもをそのまままるごと受け止めてやってほしい。家にいて何がいちばんつらい? そう塾生たちに聞くと、その答えはたいてい決まっています。

「おふくろのため息や」

 台所で料理しながら、母親がはあーと背中で大きなため息をつく。何がつらいって、それほどつらいことはない。彼らはそういいます。ため息一つで子どもの心は凍りついてしまうのです。だから、ゆっくり行く者がもっとも遠くまで行く——そんな古くて新しい知恵をもって、無条件の愛情でゆったりと子どもに接してほしいのです。

『子どもが学校に行かなくなったら赤飯をたきなさい!』(サンマーク出版)大越俊夫 著