体型からわかる人類の歴史②(「狩猟民族」と「農耕民族」)
全世界で、人間は道具を使って、動物を狩り、暮らしていました。いわゆる「狩猟民族」です。
狩猟民族の特徴として、人間には、弓矢の使い方が上手な者と下手な者がいますから、狩りができる者とできない者とで、そこに格差が生まれました。つまり弓矢が上手な者がリーダーになり、そうでない者が、リーダーのご機嫌を取るようになるわけです。鹿を仕留めたら、おこぼれがもらえますから。こういう風に、狩猟民族というのは、徹底的に能力主義なのです。この能力主義というものが狩猟民族の特性で、これがなければ、狩猟民族とは言えません。その特性が歴史的にずっと続いていき、能力のある者は、当然に多くの物を得ることができ、能力のない者は、能力のない者なりに何らかの手助けをして、しでも得られるように頑張ります。これを当たり前とすることが、大昔から現在まで続いてきているのです。
そのため、ヨーロッパ系の人々は、能力主義が考え方の中心にあります。この能力主義という考え方から、だいぶ後のことになりますが、個人主義という考え方が生まれました。今の人々は、個人主義という考え方を、近代や現代の考え方であると勘違いしています。そうではなく、大昔から狩猟系の人々は能力主義です。ですから、個人主義は新しいものでも何でもないのです。個人主義を支える、個人の権利や自由を求めるなど、思想的な意味ではもちろん新しいですが、本質は変わっていません。
では、日本人も能力主義なのかというと、違います。あるときに、(日本だけではないですが)一つの発見がありました。昔の人々の一部は、草原に出て行きました。逆に狩猟民族はなかなか草原には出て行かなかったのです。草原は、身を隠すものがなく、外敵に見つかりやすいため、危ないからです。狩猟民族は、主に森の中で、身を隠しながら、動物を弓矢などで仕留めていたからです。ところが、草原は危ない場所ではありますが、沢山の魅力がありました。どんな魅力かと言いますと、草原に出た時に一面に草の実がなっていたのです。無限と言ってもいいほど広々とした草原の一面にある草の実がなっており、それを食べるとお腹が膨れました。そこで、危ないけれども、それ以上の魅力があることから、草原に出るということに、人類は踏み出していきました。そして、草原に出た人々は農業を始めました。その草の実を人工的に育てていったわけです。
農業は狩猟よりもはるかに技術的にレベルが高いです。耕して、種を蒔いて、水をやり、育てて収穫していく。皆で収穫物を食べながら、そこから種をとり、来年の準備をする。農業の方が、狩猟より技術的にレベルが高いのは、この工程を聞くだけでわかると思います。その農業を始める人々が全世界に広がっていきました。
日本においては、その農業が非常に高度な発展を遂げます。高度な発展を遂げられたのは、日本には幸運なことがあったためです。それは、梅雨があったことです。東南アジアにも、雨季といって、雨の降る時期はありました。しかし、その雨の量は、異常に降り過ぎで、しかも雨季を過ぎると全く雨が降らなくなるため、作物にとっての環境は良くありませんでした。こういう場所で育った稲は、ひょろひょろしたものが育ち、東南アジア特有のお米になっています。
ところが日本の雨季は長く、しかも梅雨は洪水の様には降らないため、稲にとって適当な水の量になります。そうすると、農業が非常に安定的になり、沢山の農作物を確保できました。そして、米を作るという行為が、日本では普通になっていきました。結果として、日本は農業という安定した形で食糧を得ることができました。そのため、日本では、狩猟は衰退していき、農業が大いに発展していきました。これが、日本の富の源になっていきました。日本がずっと続いてこられたのは、まさに農業のおかげというわけです。
また、労働の形が人間の体型も変えていきます。もう一度、羽生選手を思い出してください。羽生選手の体型は、完全に狩猟向きです。狩猟民族は、動物を追わないといけないため、早く走らないといけません。速く走るとなったら、足が長くなっていきます。また、彼らは狩猟して肉を食べます。肉は体に悪いため、本能的に体から早く排出します。だから、彼らの消化器官である大腸は短くなり、結果として、胴体が短くなりました。また、走り回るために、狩猟民族の頭の大きさも小さくなっていきました。
反対に農業は走り回る必要などないため、全く違ってきます。当時の農業は、今みたいに便利な機械などがないため、必死に鍬を振るって土を耕していました。そのため、農耕民族は、がっちりとした体になっていきました。ずっと立ちながら鍬を振るう様な労働になるので、足腰がどっしりとし、走る必要はないため、しっかりと体を支えるために足が短く太くなっていきました。しかも米は、消化に時間がかかるため、消化器官である大腸が長くなり、胴体が長くなっていきました。ここから、日本人の体型である胴長短足になるわけです。これは、本当に農業に適した体型です。何千年もそのような生活をすれば、自然に人間の体型は、そのように変わっていったわけです。
宇野選手は、典型的で立派な日本人の体型です。もっと世間は、褒めるべきだと私は思います。あの宇野選手の体型を、日本人は誇り、かっこいいと言わなければいけません。農業のために発展した我々の体型を、狩猟民族の体型と比べて、足が短いや胴が長いなどというのは間違っていると思います。今までの歴史や伝統のある誇るべき短足というわけです(笑)。このように歴史的必然で、人類の体型は築き上げられてきたのです。今の日本人は、ちょうど羽生選手と宇野選手との両方を見て、人類の歴史を勉強できるわけだからとてもいいですね(笑)。
つまり体型によって、スポーツの形態が変わるのも当たり前です。狩猟民族は速く走るために、体型が変わっていきましたからね。陸上競技を見たらわかりますが、走り幅跳び、高跳び、棒高跳び、全て足が長い選手が有利です。足の短い者が高跳びしても、足は上がりませんからね。ハンディをつけるべきです(笑)。オリンピック競技は、男子、女子と分けるのではなく、足の長さで分けるべきです(笑)。こういう風に、人間の体型の背後には、ずっと人間が体を使い続けて変化していった歴史があることを理解してください。ところが、日本人は頭の回転が早すぎるために、勘違いしてしまったことがありました。それは明治維新です。江戸の末期には、色々な外国人がやってきていました。当時の日本人は、その対応に追われていました。欧米の人々と交渉に入りましたし、条約の色々なことなどややこしいことを決めなければなりませんでした。
そのときに欧米の文化が一気に沢山入ってきました。その頃の日本人は、外国に行くことは許されていませんでしたから、外国のことは全く知りませんでした。彼らは本の上でしか、外国を知りませんでした。当然、幕末に外国人が来ても、彼らのことは全然わからないわけですから、本を頼りに理解しようとして、誤解をいっぱいしてしまいました。